「 スキンシップの重要性 」
実は、文鳥を飼っています。
去年の秋に我が家にお迎えした、白い文鳥。ここ数年ずっと理想だった“ with文鳥LIFE ”を手に入れた瞬間でした。
ほんとに極々小さいヒナの時からスポイトで練り餌をあげたり、ちょっとでも鳴き声を察知しようものなら、すぐさま飛んでいき、頭を過度に撫でたり
と、過敏かつ過保護に寵愛し、まさに“目に入れても痛くない”存在となるのに、そう時間はかかりませんでした。名前を呼ぶと、わたしに向かってうれ
しそうに飛んで来る姿や、「こっち、おいで。」と手で床をたたくと、ぴょんぴょんと弾むように駆け寄ってくる姿は、もうこの世のものとは思えない
くらいのキューティーさ。携帯の待ち受け画面は、いわずもがな自慢の「手乗り文鳥」といった具合に溺愛の日々は順調に蜜月を重ねていったのです。
ところが、やがて、文鳥と暮らす毎日がいつかの“理想”から、ここにある“日常”となるにつれ、あのイケナイ感覚がわたしを襲い始めました。
そう、“マンネリ”です。倦怠期や中だるみのニュアンスとは似て異なる感じ、やはりマンネリズムなんです。
3分に1回のスキンシップが3時間に1回となり、3時間に1回のスキンシップは、やがて3日に1回となっていった頃、わたしが溺愛した文鳥は、「手乗り文
鳥」で在ることをやめ、ただの「白い文鳥」へと変遷していったのです。名前を呼んでも知らん顔、手を差し伸べようものなら、プロボクサーのジャブ
の如く、くちばしを高速で突き出し攻撃してくる有様。顔つきも心なしかなかなかのワイルドさを孕んで、あの蜜月関係の破綻を察知するに充分なオー
ラを鳥かごの中で醸し出すまでになり、まもなく、出逢いから1年の記念日を迎えようとしています。
“何とか1年の記念日までに、数ミリでも関係修復を”と思い、今では片想いとなってしまった文鳥に毎日くちばしで激しく突かれながら、失われた時間を
埋めるべく一方通行のスキンシップに励むわたしです。
やはり、大事ですね...、スキンシップ。